最後はアルがやってくれました
このままだと1~2ヶ月といわれてから4ヶ月ちょっと、父は頑張ってくれました。
半年前は元気だったのにな~と思うし、
食事ができていればがん治療を受けることもできたかもしれないから、
友だちが常々言っている『生きることは食べること』が染みます。
同じ時期、わたしと同じようにお父さまやお母さまが闘病中という
ブロ友さんが何人かいらっしゃって、ご自身もバタバタして大変だろうに、
父やわたしのことを気にかけてくださり、とても心強かったです。
9月の終わりごろ、父の容態が変わりました。
せん妄が出始め、その後、一気に目が見えなくなったよう。
意識がどうこうではないけど、医師からは『危篤状態』と告げられました。
母からこの話を聞いた翌週に行くつもりでしたが、
できるだけ早く会いに行きたいとおんじも言ってくれ、その週末に行きました。
今回は母とわたしたちの3人で行ったのですが、
2週間前におんじとふたりで行ったときとは全然違いました。
黄疸が出て肌は黄色く、呼びかけると少し目を開けてこちらを見るも、
わたしの顔はわかっていないようでした。
寒いか聞くと、寒くない意思は示していたけど、
かなり冷たい手でわたしの手を握り返してくれていました。
横になると胸が圧迫されてしんどいようで、自分で寝返りを打とうとはしていたし、
トイレに行きたいときも動いているようでした。
何か訴えているようではありましたがもう話せないのでこちらもくみ取れず、
母ももどかしそうだったし、一日一日悪くなっているので寂しいと・・・
帰るときも父の手を握って声を掛けましたが反応なし。
面会後に看護師さんと少し話しました。
血圧が下がり気味だそうなのですが、尿を我慢するらしく、
導尿で抜いてもらうので一気に腹圧が下がって血圧も下がっているのかもしれないとのこと。
これはわたしも迷走神経反射の症状が出たときにあるので理解できた。
あとは、チアノーゼが出ていると。
10月6日の昼、翌日行くことを母に伝えていたのですが、夜に母から電話がありました。
母が「明日cheeたちが行く予定やったのに」と言ってくれたけど、
わたしは京都まで距離があるので看取れないのは仕方ないし、それは覚悟していたけど、
中にはすぐ近くにいても立ち会えない人もいるので、
母が父の最期に立ち会えたことにほっとしました。
母がウトウトしているところに病院から電話があり、
血圧が下がってきていると伝えられたそうですが、
寝ぼけていた母は「明日行きます!」と言って電話を切ったそう・・・
その後、え?え?となり、近くに住む伯母に連絡し、伯母と向かったよう。
母との電話を切ったところでおんじから帰ると連絡があったので、
おんじの帰りを待って京都に向かいましたが、
半分くらいまで行ったところで母から電話があり、
葬儀屋さんが迎えに来てくれて、もう今日は父に会えないと聞かされました(゚Д゚)
引き返すこともできたけど母のことも気になったのでそのまま向かい、
母と30分ほどしゃべって帰宅。
父が余命宣告を受けたあと母が、父に万が一のことがあったら、
いろいろやらなきゃいけないことがあるだろうけどよくわからないと言っていたので、
手続きなど調べてまとめたものを、最後に面会に行った日に渡したのですが、
読んでくれたようで、このとき、これがすごくありがたいと言ってくれました
今は電気のろうそくなので火の番をしなくてもよいここと、
本当に小さな家族葬で、やったとしても数人で交代するのは大変なので、
通夜はなしで葬儀のみになりました。
思わず『これいつの?』『何のやつ?』と言ってしまうような写真でしたが、
口ひげがあってふっくらした写真を選んだとのことで、
母も自分で選んでおきながら、何でこれにしたかわからないと言っていました。
そして、9月の初めに母と面会に行ったとき、父が自分でひげを剃らなければ、
最期もひげをたくわえたままだったのにねーと思わずにはいられません。
火葬場へ向かう際、おんじとわたしは父が乗る車の後ろを走っていたのですが、
「こういうとき、お母さんと葬儀屋さんってしゃべるんかな?」
「葬儀屋さんからはあんまり話しかけないんじゃない?」
「でもお母さんからしゃべりそうだよね」
とか話していたんだけど、火葬場に着くと母から、
「あの人(葬儀屋さん)、社長さんなんやって!ずーっとしゃべってた」と。。
やっぱり(笑)
そして実際は会長さんでした。
気さくというか感じの良い方で骨を拾うときも
「徳があったんでしょうね。鉄板が新品です」とか教えてくれ、
しんみりすることなく終始和やかな雰囲気でした。
ちなみに父、昔から硬いものもバリバリ食べていたのですが、
『歯がしっかりしている』とも言われました。
自分の歯がたくさん残っている=しっかり噛むということなのか、
認知症になりにくいそうです。
あと、よく歩いていたので骨が丈夫だったって。
通夜や葬儀って時間がかかって疲れることが多いけど、
待ち時間がわりと少なかったからか、そんなに疲れた感じはありませんでした。
実家で少し休んで帰り、翌日の明け方・・・
アルがケロリする音が聞こえたので飛び起きて見に行くと、
玄関で、前日履いたわたしのフォーマルパンプス(しかも新品!)の中に
キレイに収まるようにケロリしていた((((;゚Д゚)))))))
幸いパンプスはキレイに拭き取れましたが、
わたしの叫び声でおんじが飛び起きるという締めくくりとなりました。
そんなこんなで、母もわたしも元気です。
ありがとう!


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