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2023/10/12

最後はアルがやってくれました

このままだと1~2ヶ月といわれてから4ヶ月ちょっと、父は頑張ってくれました。
半年前は元気だったのにな~と思うし、
食事ができていればがん治療を受けることもできたかもしれないから、
友だちが常々言っている『生きることは食べること』が染みます。
同じ時期、わたしと同じようにお父さまやお母さまが闘病中という
ブロ友さんが何人かいらっしゃって、ご自身もバタバタして大変だろうに、
父やわたしのことを気にかけてくださり、とても心強かったです。

9月の終わりごろ、父の容態が変わりました。
せん妄が出始め、その後、一気に目が見えなくなったよう。
意識がどうこうではないけど、医師からは『危篤状態』と告げられました。
母からこの話を聞いた翌週に行くつもりでしたが、
できるだけ早く会いに行きたいとおんじも言ってくれ、その週末に行きました。
今回は母とわたしたちの3人で行ったのですが、
2週間前におんじとふたりで行ったときとは全然違いました。
黄疸が出て肌は黄色く、呼びかけると少し目を開けてこちらを見るも、
わたしの顔はわかっていないようでした。
寒いか聞くと、寒くない意思は示していたけど、
かなり冷たい手でわたしの手を握り返してくれていました。
横になると胸が圧迫されてしんどいようで、自分で寝返りを打とうとはしていたし、
トイレに行きたいときも動いているようでした。
何か訴えているようではありましたがもう話せないのでこちらもくみ取れず、
母ももどかしそうだったし、一日一日悪くなっているので寂しいと・・・
帰るときも父の手を握って声を掛けましたが反応なし。
面会後に看護師さんと少し話しました。
血圧が下がり気味だそうなのですが、尿を我慢するらしく、
導尿で抜いてもらうので一気に腹圧が下がって血圧も下がっているのかもしれないとのこと。
これはわたしも迷走神経反射の症状が出たときにあるので理解できた。
あとは、チアノーゼが出ていると。

10月6日の昼、翌日行くことを母に伝えていたのですが、夜に母から電話がありました。
母が「明日cheeたちが行く予定やったのに」と言ってくれたけど、
わたしは京都まで距離があるので看取れないのは仕方ないし、それは覚悟していたけど、
中にはすぐ近くにいても立ち会えない人もいるので、
母が父の最期に立ち会えたことにほっとしました。
母がウトウトしているところに病院から電話があり、
血圧が下がってきていると伝えられたそうですが、
寝ぼけていた母は「明日行きます!」と言って電話を切ったそう・・・
その後、え?え?となり、近くに住む伯母に連絡し、伯母と向かったよう。

母との電話を切ったところでおんじから帰ると連絡があったので、
おんじの帰りを待って京都に向かいましたが、
半分くらいまで行ったところで母から電話があり、
葬儀屋さんが迎えに来てくれて、もう今日は父に会えないと聞かされました(゚Д゚)
引き返すこともできたけど母のことも気になったのでそのまま向かい、
母と30分ほどしゃべって帰宅。
父が余命宣告を受けたあと母が、父に万が一のことがあったら、
いろいろやらなきゃいけないことがあるだろうけどよくわからないと言っていたので、
手続きなど調べてまとめたものを、最後に面会に行った日に渡したのですが、
読んでくれたようで、このとき、これがすごくありがたいと言ってくれました

今は電気のろうそくなので火の番をしなくてもよいここと、
本当に小さな家族葬で、やったとしても数人で交代するのは大変なので、
通夜はなしで葬儀のみになりました。
思わず『これいつの?』『何のやつ?』と言ってしまうような写真でしたが、
口ひげがあってふっくらした写真を選んだとのことで、
母も自分で選んでおきながら、何でこれにしたかわからないと言っていました。
そして、9月の初めに母と面会に行ったとき、父が自分でひげを剃らなければ、
最期もひげをたくわえたままだったのにねーと思わずにはいられません。

火葬場へ向かう際、おんじとわたしは父が乗る車の後ろを走っていたのですが、
「こういうとき、お母さんと葬儀屋さんってしゃべるんかな?」
「葬儀屋さんからはあんまり話しかけないんじゃない?」
「でもお母さんからしゃべりそうだよね」
とか話していたんだけど、火葬場に着くと母から、
「あの人(葬儀屋さん)、社長さんなんやって!ずーっとしゃべってた」と。。
やっぱり(笑)
そして実際は会長さんでした。
気さくというか感じの良い方で骨を拾うときも
「徳があったんでしょうね。鉄板が新品です」とか教えてくれ、
しんみりすることなく終始和やかな雰囲気でした。
ちなみに父、昔から硬いものもバリバリ食べていたのですが、
『歯がしっかりしている』とも言われました。
自分の歯がたくさん残っている=しっかり噛むということなのか、
認知症になりにくいそうです。
あと、よく歩いていたので骨が丈夫だったって。

通夜や葬儀って時間がかかって疲れることが多いけど、
待ち時間がわりと少なかったからか、そんなに疲れた感じはありませんでした。
実家で少し休んで帰り、翌日の明け方・・・
アルがケロリする音が聞こえたので飛び起きて見に行くと、
玄関で、前日履いたわたしのフォーマルパンプス(しかも新品!)の中に
キレイに収まるようにケロリしていた((((;゚Д゚)))))))
幸いパンプスはキレイに拭き取れましたが、
わたしの叫び声でおんじが飛び起きるという締めくくりとなりました。

そんなこんなで、母もわたしも元気です。
ありがとう!




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2023/09/27

ひげ剃りとお肉と生命力

今月初めにひとりで京都に行ったときのこと。
この日は母も面会に行く日だったので最寄り駅で待ち合わせしました。

受付を済ませたあと母は看護師さんとちょっと立ち話をしていて、
わたしだけ先に病室に入ったんだけど、
すごく調子が良さそうで、さらに、入院してからずっと声がかすれていたけど、
それがなく、スムーズに声を出せていました。
父も「今日はなんか声が出しやすい」と言っていた。
しばらくして母が入ってきて、父がポカリを飲むというのでベッドを起こし、
その後、ひげを剃るというので電気シェーバーを手渡したのですが・・・

父は長いこと、鼻の下にひげをたくわえていたのですが、
60歳で一旦仕事を辞め、その後10年間働いた会社はひげNGだったので剃っていました。
病院では看護師さんがひげを剃ってくれるそうなんだけど、
この日は母が「ここ(鼻の下)、また生やしてよ。剃らんとおいといて!」って言ったんです。
この日調子が良かった父、手渡されたシェーバーを手に取り、
『え?病人か?』って思うほど軽快に滑らせました。
鼻の下も。。
母が「ちょっとちょっと、ここはおいといてって言うたやん!」って言ったけど、
ニヤッとしながらご丁寧に鼻の下は2回も剃っていて・・・もうコントでした!
父が、10年間すべてのひげを剃り続けていたからうっかりだったのか、
体を張って母を楽しませようとしたのかはわからないけど、
母は「ずっと生やしてたやん! 付きおうてるころからひげあったやん!」とか言って、
わたしは大笑いしながらも『はいはい、イチャイチャせんといて』って感じでした(笑)

そしてこの日は父が「もし家に帰れたら、帰れたらやで、トイレが大変やなぁ」
と言ったので母もわたしも驚いたけど、今はそんなこと思っていないようで、このまえ母に、
「帰るとなったら、着替えて、車に乗って・・・ってせなあかんししんどい」って言ったそう。
え? そこ? 笑

今月半ばにはおんじとふたりで面会。
母も行くと思っていたのでまずは実家に向かったけど、
もうすぐ着くって連絡したら、まさかの「うち、行かへんで」
ちょっと・・・前もって言ってよ(^_^;)
この日も調子が良さそうでした。
父が入院してから約5ヶ月、初めて父に、
「面会のためだけにわざわざ来てくれてるんか?と聞かれました。
もしかしたら、面会のためだけに来てくれて申し訳ないと思ったのかもしれないけど、
「それもあるけど、うちら京都でお気に入りのラーメン屋があって、
お父さんに会いに来るのもやけど帰りにラーメン食べて帰るのも楽しみにしてる」
と白状したら、ラーメン好きの父も共感してくれたのか笑ってくれました。
父は食事を摂ることができなくなってしまったけど、父もラーメン好きなので、
今食べられるならラーメンを食べたいらしい。
その次はすき焼きで、その次は分厚いステーキだそう。
ラーメンはともかく、魚屋なのに肉ばっかり(笑)
父もおんじも餃子が好きなので餃子の話で盛り上がり、あっという間に1時間。

この日、疲れが出たのか母は調子が良くないようだったので玄関で顔見るだけにして帰宅。
3連休だったので、いつものように夕方まで実家でゆっくりして、
いつものようにラーメン食べて帰っていたら渋滞にはまっていた気がするから、
この日はラーメンはやめて早めに京都を出ることにしたのですが、
派手な色が使われていない飲食店やドラッグストアを見たおんじが、
「茶色い!」「これも色が違う!」「改めて見るとすごい!」と騒ぎだし、
何を今更?と、わたし困惑(笑)

少しまえに母とも話したけど、入院してから約5ヶ月、
6月に、何もしなかったら1ヶ月、高カロリー輸液で2ヶ月と宣告され、
「宣告どおりだったら夏場に礼服はしんどいね。それより何年も着てないけど入るんか!?」
「そんなこと言ったらオレのほうがやばい・・・」っておんじと話していた。
わが家は結婚当初から消しゴムはんこを作って年賀状を手作りしていて、
来年でちょうど一回り。
最後は気合い入れてかっこいいのを作るつもりだったので、
「彫りたいねよね~」とも話していた。
コロナ禍で控えていたプール、今年こそは行こうと意気込んでいたけど、
ちょっとどうなるかわからなかったから先延ばしにしていた。
だけどうれしいことに父は、何も食べていないけど問題なく会話ができて、
今までと変わらないスピードでひげ剃りもしていた。
1週間ほど前、車椅子で散歩に連れていってもらったらしいのですが、
その日はめちゃくちゃ暑く、病室に戻ったときに看護師さんが、
以前母が預けたアイスクリームがあることを伝えてくれたそうで、
カップアイスを半分くらい食べたらしい。
その後、お腹こわしたみたいだけど・・・
これが父の生命力というものなのかもしれません。

だけどとうとう、今までのように今と昔がごっちゃになってしまっているのではなく、
虫がうじゃうじゃいるといってパニックを起こすなど、
いわゆるせん妄の症状が出始めました。



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2023/08/30

8月もあっという間

おんじもわたしもフードロス問題には結構関心があるから、
たまごを投げつけられたってニュースを見たときの第一声は、
「食べものを粗末にするなんて・・・」でした。
うっかり落としてダメにしちゃったときなんかめちゃくちゃショックなのにー

だいぶ前の話だけど、今月初めにひとりで京都へ。
4日と9日で迷ったんだけど、4日は天赦日というとても運気の良い日だったので、
宝くじを買うことは決めていて、京都で買おうかな、
旅先で買うと良いって聞くよね~と盛り上がり、4日に行くことに。
わたしが行ったチャンスセンターは窓口が少ないということもあってか長蛇の列・・・
さらに途中で前の人の仲間が合流し、
ダメだとわかっている様子でありながらも並び続けていたのでおいおい!って思ったけど、
この人が列に入ったことでわたしが当選するかもしれないという思いで黙っていた。
今どき、何か言ったら刺されるなんてこともありますし・・・
警備員さんなど、列を整備する方も数名いたのでアナウンスしてほしいものです。
後日、わたしはかすりもしなかったけど、ここで買ったおんじの分は1万円当たりました~

病院の面会は1時間以内なんだけど、しゃべっていたらそんなのあっという間。
この日父に、お母さんが頻繁に来てくれてうれしいやろーって言ったらニヤけていた(笑)
1時間で帰るの寂しいなぁって言ったら「うん」やって!
あ、父は母のことが大好きなんです。

わたし、父との仲は良いと思っているし、たとえば実家に帰ったときに、
父とわたしが同じ空間で別々のことをしていても居心地悪いってこともないけど、
もう20年以上、父とふたりっきりで1時間もしゃべることがなかったから、
この日は母が行けず、わたしひとりで面会に行くことになり、ちょっと心配でした。
行ってみればこの日は父の調子が良く、会話が途切れることはなかったし、
あれもこれも高いわーとかそんな会話をしたり、病気のことどう思っているかなど聞いたり。

その次の週は、病気で仕事を辞めたことや、少し前と今がごっちゃになって混乱したのか、
ちょっと変な時間に母に電話がかかってくるということがあったよう。
生き生きして饒舌な日があったかと思えばボーッとする日もあったそうなので、
母にわたしが行ったときのことを話すと、
いちばん良いときに、素の父と話して父の思いを聞けて良かったって。

今月半ばにはおんじとふたりで面会。
おんじはこの日の朝、野球好きの父と話をしようと甲子園を見ていたんだけど、
甲子園観てる?って父に聞いたら観ていないと返ってきて撃沈(;д;)
ベスト8に東北が3校も入っているとか、
次は仙台育英と花巻東だって!とか言えばいいじゃないのーって思いながら見ていたけど、
雑談が苦手なおんじ、そこまで話を広げられず・・・ 笑
それでも帰りには父がおんじを呼び止め、ありがとうと言っていました(*^_^*)

この日はわたしたちの後、伯母が予約を入れていました。
両親が10年近く前に車を手放しているので、
父が転院するときは、近くに住む伯母が車で荷物を運んでくれたし、
母を病院に乗せて行ってくれることもあるんだけど、
そういうことに関してお礼を言いたいと思っていたので会えて良かったです。

調子の良い日もあれば、あんまりな日もあるって感じかな。
食事を摂ることができていない父を見ると、
やっぱり口からものを入れるのは大事だなって思うんだけど、
もう何ヶ月もまともに食べておらず、緩和ケアを受けるようになってからは、
やり過ぎるとお腹が張ったりむくみが出たりするからと高カロリー輸液も減らしたのに、
こうやって生きていて、会話ができていることが不思議で、
これは、父も同じように思っていたようです。

おんじは、知らせたほうがいいんじゃないかって言うけど、
父のこと、義両親には話していません。
理由はいくつかあるんだけど、余計なことを言われるなら話さないほうが無難かなと思って。
まあ、話しておくのが一般的なんだろうなとは思うんだけどね。



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2023/07/18

ありがとう

励ましのコメントたくさんいただいき、ありがとうございます。
そういえば、昔は病院を抜け出してどこかに行ったって話も聞いたけど、
最近、そういう話はあんまり聞かないね。
入院期間が短くなっているからかな(*^_^*)

病は気からって言うけど、あまり頑張りすぎるとがんも必要以上に攻撃してきそうだし、
無理せず、それぞれの立場でベストを尽くすのみ!
今や2人に1人ががんにかかると言われているから、自分もかかる心づもりをしておいて、
早期発見で治るとも言われているから、今までどおり定期的に健診を受けて、
何かあったときに困らないよう、ときどき保険を見直そう。
というわけで、ちょっと先ではあるけど、
今年も夫婦で人間ドックの予約を済ませました(^^)v

そんな中、わたしはひとつ歳をとりました。
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この時期にメロンから桃に切り替わるんだけど、今年も桃でした!
なんとなくだけど『よんじゅうに』より『しじゅうに』のほうがかっこいいと思うので、
年齢を答えるときはこう答えようと思う(笑)

おんじからのプレゼントはアイアンセットとドライバーでした~
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頑張ろう! 練習を・・・



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2023/07/01

似たところ

先月末、リボ払い設定になっていて払えていなかった分は無事引き落とされ、
さらに新しく申し込んだカードも届き、コード決済との紐づけも完了したようです。
カード払いになっているものの変更はわたしも手伝う予定なので、早々に済ませられそう(^^)v


さて、父が胃がんを患い4月の半ばに手術したのですが、
1ヶ月ほど入院して、その後1ヶ月ほど自宅でゆっくりして、
今ごろは「そろそろ仕事復帰する?」なんて話をしていてもおかしくないはずだったのに、
先月、まさかまさかの、このままだと余命2ヶ月宣言されました。

ショックとか長生きしてほしいという気持ちはもちろんあるんだけど、
自分が10代、20代のころに思っていたような、
お父さんやお母さんがいなくなるなんて耐えられない!っていうのはなく、
父もそれなりの歳だし、順番だし、そういうものだっていう感じ。
きっとこれは、わたしがおんじと結婚して自分の家族を持っているからだろうな。

4月の手術後、吐き気で食事がとれなくなり、体重も激減。
胃と胆のうと、食道も少し取り、その切除した部分は溶ける糸で縫ったそうですが、
父は別の持病で血が止まりにくかったり傷が治りにくかったりするため、
完全にくっつく前に糸が溶けてしまったようで、5月に緊急手術となりました。
漏れ出たものを掃除して、溶けない糸で縫合。
その後、吐き気は治まり食事もできるようになったけど、
数日後、また食べられなくなりました。

リンパに飛んでいるのも見られていたので抗がん剤治療をする予定でしたが、
とにかく口からものを食べていないので体力がなくてできないし、
歩くリハビリも、食べていないから筋肉にならず、体力奪われるだけらしい。

5月の終わりごろは低かった腫瘍マーカーの数値は2週間足らずで高くなり、
CT画像は素人目にもわかるほどのものだったそう。
肝臓への転移で、肝臓の一部ならまだよかったのかもしれないけど、
全体に散らばっていたので手術もできず、悪性でとにかく進行がかなり早いそう。
一旦退院し、別の病院を受診したけど同じような見解だったので一旦自宅に戻ったけど、
4日後、元の病院で診察を受け、再度入院となりました。
このときのCT検査、肝臓に転移したがんが大きくなっていて、
さらにちょっと変わった形だそうで、主治医も「こんな形は見たことない」って。

とにかく父は、先の長さよりもこの吐き気と嘔吐を取り除いてもらうことを希望しており、
6月末に緩和ケア病棟のある病院へ転院しました。
緩和ケアと聞くと、もう手の施しようのない終末期のイメージだけど、
この病院は緩和ケアの医師が腫瘍内科も兼任していて、
痛みを取りながら、患者さんの希望に沿った治療も行えるようです。
前の病院で言われた2ヶ月というのは、がんの進行具合もだけど、
栄養になるものを食べていないからっていうのもあるから、
吐き気を抑える薬が効いて、ちょっとずつでも食べられるようになって体力がついて、
父が望めば抗がん剤治療という可能性もあるみたい。

胃の全摘手術をせずに抗がん剤治療をすればよかったという後悔があるようです。
まあ、そうかもね。
医学は進歩しているから今はできるだけ副作用が抑えられた薬が開発されているだろうけど、
でもそれが合う、合わないは人それぞれだから、なったものは仕方ない。
という、わたしの、
くそーって思うことがあってもあまりくよくよしないところは母に似たんだと思う。

転院先の病院は面会のルールが厳しいので、転院前にお見舞いに行きました。
おんじと、宝くじが当たったらマンゴーでも持ってく?って話していたら、
本当にふたりで15000円以上当たったんだけど、
少しは食べることができていた果物もあまり食べられなくなってきたみたいだから、
「吐いたらこれで優しく口拭いて、えずいたときの涙もこれで優しく拭くんやで」
と言って高級ティッシュを渡したら、歯を見せて笑ってくれました。
こういう、辛いときでも楽しく!っていうところも、母に似たと思う。

一度始めたことは目標達成まで続け、根気があって、
いい意味でしぶといところは父に似ていると思う。
だからしぶといわたしは、薬が効いてちょっとでも食べたいものを
食べられるようになることあきらめてないんだよねー
だってさ、もうあかんってなったとしても、
好きなもの食べて、ああおいしいって感じたいでしょ。

ちなみにおんじは麺好きなので、麺をすすれなくなるのは辛いらしい。
わたしは、いつか来る最後の食事は南蛮漬け希望だけど、固形物がダメだったら甘酢あんかな。
お酢が好きなんで(笑)

と、まあわたしは結構元気です!



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